どうも、のんたろうです。
プロフィール記事でも書いていますが、
僕は42歳で鬱病になりました。
鬱病になったころ、
自分が情けなくて…
家族に申し訳なくて…
1日でも早く復帰しなければ…
何で僕が…
そんな感情がグルグル回っていました。
気持ちは焦っているんですが、
体が動かないんです。
3か月起き上がることもできませんでした。
やっぱり心と体は繋がっているんだなと。
今でもたまに鬱症状がでることはあります。
でも、
普通に体を動かせるようになったし、
普通に家事もできるようになったし、
外出もできるようにもなりました。
普通って本当に有難いことなんですよね。
ということで、
今回は「鬱病から学んだ幸せ」について
書いていこうと思います。
当たり前ですが、
鬱病になりたくて、鬱病になる人なんて
一人もいません。
ただ、その真っ只中にいると、
深い闇の中に自分が迷い込んだような感覚になり、
自分の存在価値・存在意義が分からなくなってしまうんですね。
そんなとき
今回の記事のことを
思い出してもらえたら嬉しいなと。
鬱病になったころは自己否定感の塊だった・・・
仕事もあり、
結婚して、
子どもができて、
家庭的にも問題ない。
そんな人間が幸せではないと
考える理由ってなんだろう?
コレ鬱病になって
真剣に考えるようになったんですね。
僕の場合、
アトピーになり、
アトピーに苦しみ、
アトピーを根治し、
・・・7年後に鬱病になりました。
そして現在にいたる過程の中で
思うことがあります。
一言でいうと、「自己肯定感」。
財産とか
仕事とか
他人の評価とか、
そんなものだけを求めすぎるあまり、
自分の存在価値や存在意義という視点(思考)から
自分を確認、認識できないとしたら…
それってすごくもったいないし、
辛いことなんですよね。
それは自己否定感に繋がり、
寂しさや不幸感が常に自分自身の中にあり、
そこから離れられなくなるから。
今でこそ、こうして自分を語れますが、
実際、鬱病になったときは
僕は「自己否定感」の塊でした。
自分の存在価値にさえ
疑問を抱いていました。
他人との関係、利害だけを意識して過ごす?
ちょっと実験してみてほしいんですが、
「今日は一日だけ他人との関係、利害だけを意識して過ごしてみよう」
と思って実際やってみると、
すぐに分かると思います。
(半日だけでもいいかも・・・)
とにかくしんどいんですね。
それが仕事・プライベートに関係なく。
で、この「しんどさ」、
「あ~、疲れたぁ」ぐらいで済むなら、
いいんですが、
その根底に無意識の頑張りなんかがあり、
潜在化すると厄介なことになるんですね。
無意識の頑張りのところが怖いんです。
無意識なので、自分に負荷が
かかっていること自体も
分からない状態。
なので、
完全に心がポキってなるまで気づかない。
結果、最悪の状態を招くことだってあるんです。
そん事態にだけはなってほしくないなと。
苦しんでいる時には「考え」ているわけではない
ここからが本題。
で、実際、しんどくなったら
どうすればいいんでしょう?
で、僕の答えはキッパリ。
「考えないようにする」
そう。考えない。
これが僕のやり方。とてもシンプルなんです。
考えるからこそ、いろいろ厄介な思いが浮かび、
それと自分が同一なように思えてきます。
そもそもそれを考えなければ、心の中では
それは「ない」と同じことなんですね。
ちょっと想像してみてほしいんですが、
例えば、人間関係・仕事のことで
家でモンモンと悩んでいたとします。
「ピーンポーン」
配達の方が来ました。
「は~い」
あなたは配達物を取りに行きます。
「こちらに受け取りのサインをお願いします。」
あなたはサインをし、配達物を受け取ります。
気づきましたか?
この間、人間関係・仕事のことで悩んでいたことを
忘れているんですよね。
そう、考えてないですよね。
でも、こんなことを書いていたら、
こんなご意見をいただきそうです。
「おいおい。そんなこと無理だろ…」
「ずっと考えない訳にはいかないでしょ…」
確かに、人間は考えずに生きてはいけないし、
考えることそのものは悪いことではありません。
でも、だからこそ僕は思うんです。
「考えると自己否定感に繋がり、寂しくなったり不幸感を感じることが
事前に分かっているのに、なぜ考える必要があるんでしょうか?」
実際、多くの場合、僕たちが悩み、
苦しんでいる時、「考え」ているわけではないんです。
その本質的なことの周囲を
グルグル回っているだけなんですよね。
これは、アトピーのときはもちろん
鬱病になってからも嫌と言うほど経験してきました。
実際、自分で直接的な経験をしないまま
アタマで「考えた結果」を重要視すると、
世界的な惨事を招くケースがたくさんあります。
何事も机上の空論ではなく、
自分が経験したことって強いんですよね。
本当の思考力というか。
「こうすれば、きっとこうなる」
僕自身、ついついそんなふうに
考えてしまう傾向があります。
なので、そういった自分を客観的に見て
僕は何もしないうちから、
自分の「考え」とか「信念」とか「信条」
なんてものを信じないようにしています。
そんなものに何の実体もないから。
だからこそ、
できるだけ何でも自分で試してみる
頭で考えるより、
何倍も大事なことなんですね。
それはもう、
机上の空論なんかではありません。
他人の評価なんかではなく、
そこに自分の存在価値、存在意義を求める。
すると、意外かもしれないけど、
「寂しさ」「自己否定感」「不幸感」
なんてあまり感じないものなんです。
自分がこれからどうなるか、
将来的なことは分かりません。
このような思考にたどり着いたのも、
アトピーを根治した思考が根底にある。
・・・そんな気がしています。
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僕は生まれたころからアトピーでしたが、
今では、アトピーから解放され
普通の生活をしています。
春先に決まって悪化していたアトピー。
花粉症・アレルギー性結膜炎・アレルギー性鼻炎、
寝る前には軽い喘息が出る日もあり、
アトピーのころは
アレルギー疾患のオンパレード。
なので、春は一番嫌いな季節でした。
アトピーが根治してから、
普通に四季を楽しむことができるようになり、
今は春が一番好きな季節になりました。
アトピーを根治して分かったコトがあります。
アトピー・花粉症・アレルギー性結膜炎
アレルギー性鼻炎・喘息…
症状は違うように見えるけど、
根は同じだというコト。
事実、僕はアトピーを根治して
アレルギー疾患に悩まされることも
なくなりました。
僕は環境や才能に恵まれたわけでもありません。
顔のアトピーが重症化してからは、
アトピーで人の視線ばかり気になり、
人の目を見て話すことができなくなっていました。
高校の修学旅行も
右目の急性緑内障手術のため行っていません。
青春時代はアトピー一色でした。
さらに極度の上がり症でもありました。
試験前にはトイレへ行っているのに、
試験中になるとお腹が痛くなり、
トイレに行ったことが何度もあります。
浪人して大学受験するも失敗。
第1希望どころかすべり止めの
大学しか合格できませんでした。
そんな僕でも、
正しい方向性で真剣に取り組んだところ、
アトピーを根治することができました。
(たくさん遠回りはしましたが…)
アトピーを根治して、
物事の本質を見る力、
世の中の常識が常識とは限らない事など
普通では学べないことを自分の身体で
知ることができました。
「アトピーを根治する=健康な体になること」
環境や才能に恵まれなかったとしても、
正しく学んで正しく実践すれば
アトピーを根治できると確信しています。
「アトピーで悩む時間なんてもったいない…」
一度きりの限りある人生。
アトピーで悩む時間があれば
本当に自分がしたいこと、
本当に自分が悩みたいことに
使った方が人生は有意義になると思います。
そういった理念から、
僕がどんなふうにアトピーを根治し、
アトピーの報われない努力から
報われる努力に辿り着き、
アトピーのない世界を手に入れたか、
そのリアルな軌跡と成功体験を
実践編としてまとめてみました。
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ストーリー形式のため
だいたい20分ぐらいでサクッと読めるので、
ぜひ興味があれば読んでみてください。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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